朝、眠り損ねて書いた駄文に追加。
結局のところ、患者の”医療不信”と医療者の”患者不信”は鏡のような構造だ。
医療訴訟の報道を聞く度、患者は”明日は我が身か”と思い、医療者も”明日は我が身か”と憂う。
医療訴訟なんてものは誰のためにあるのだろう。
誰のためにもなってやいない。少なくとも、訴える人のためにも訴えられる人のためにも、国民のためにも医療業界のためにもならない。
医療ミスを減らすために必要なものは、裁判官による一方的な判決ではない。
医療ミスが何故生じたかを専門家達が科学的に分析するディスカッションだ。
医療に関連する死や病で苦しむ患者に必要なものは、弁護士による「あなたの主治医を訴えましょう。訴訟にしなければいつまでも真実は判りません」という訴訟の誘いでも、巨額な和解金でも賠償金でもない。
心理学に熟達した専門カウンセラーによるカウンセリングだ。
この国の医療が安心感を取り戻すためには医療訴訟は有害としかいいようがない。
#というところで36時間ほど病院から帰宅していないので帰って寝るのだった。ねむ。